■15周年記念特別企画第3弾■
「銀河鉄道の夜を求めてinサハリン(樺太)」7
6月4日(水)〜6月10日(火) 7日間

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目指せ「樺太西線と鉄道の街真岡」編
旧本斗駅(ネヴェリスク)⇒旧広地駅(プラヴダサハリンスカヤ)⇒真岡(ホルムスク)

西海岸線という名に惹かれ ついにやってきた
全線未舗装のダートは苦しくもあり 期待にも答えてくれた 憧れの西海岸線をご紹介

澄み渡る大空と広がる日本海
家の前には線路が イメージ通りのロケーションながらだれも住んではいない

パリダカじゃないのと思わせるぐらいの砂埃り こんなのはまだいい方

後ろにつくとこの状態 距離を開けると また後ろから猛烈なやつがやってくる
マスク文化がないみたい こんな中でも時折乳母車をみかける
その昔の北海道もこんなものだった 今や鹿しか通らない道までも舗装だからな
なんとカワイイ標識
わかりやすい
穴が開けばそこだけ直すがサハリン流
町中だからいいが 巨大な穴がいたる所に点在
軽自動車だからなのか それとも自分より前を走っているからなのか
とにかく全速で追い抜く 日本車が圧倒的なのは他国の車なら間違いなくバラバラである ちなみにこいつはクラウン
別荘文化が進んでいるサハリン 青い家はきっとそうだろう
サハリンの人達の生活はとてもシンプルである 家族でバーベキューしたり ハイキングしたり
物がないといえばそれまでだが あふれかえった無用の選択肢ばかりの日本がなくした楽しみの原点がある
きっと今夜の夕食は沈む夕日を見ながらボルシチとチーズとウォッカ?
そんな生活3日間だけならして見たい
何やら恐ろしい物体が猛烈な速度でやって来る それではご覧頂こう
怒涛の化け物列車!
轟音と共に物凄い速度でやってきた

なんだなんだ 恐ろしい編成だ マジンガーZのように変化しそうだ

とにかく砂埃 かまわず轟音と共にやってくる

この編成が何を意味しているかわからない

心臓バックンバックン

無言

お構いなし

何がおきているかわからない

その速度で走る代物ではない

3両目荷物車のようだ

最後は客車 昔の一般客車だ 現在旅客には使っていない

とりあえずいなくなる
逃してたまるか⇒いたいたやっとる!

向きが逆だったが あとで追いかけようと・・・ いたぞいたぞ何やらやってる

これ動画で撮ればよかったのに・・・ グルグルまわってガンガンほじくりかえしていた

それをベルトコンベアーに乗せ反対側に容赦なく捨てていた
保線に力をいれているのは間違いない!
しかし真岡も本斗も人口が多くその間はこの線路とダートしかない 旅客輸送は充分成立すると思うが・・・
西海岸線「ジャリ運搬号」
動画は⇒こちら

いかにも共産圏的車両でやたらと力がありそうだ
12両編成の長距離夜行寝台「サハリン号」もコイツが牽引する

なんか新鮮

ロシアの貨車はカッコエエ
本斗から真岡まで殆ど海岸線を走る ちいさな漁村にはみな駅があったが今はない 全部日本時代の建物
ちなみに旧本斗駅跡 西海岸で一番整備されている街
いまでも暖房は石炭 あちこちで煙があがっていた

この地図では「二股駅」が「三股駅」になってる 昔の地図ではよくあること
おまけに見なきゃ良かったものまで発見する事もある
 
残っていた広地駅

石造りの駅舎 旧「広地駅」

島式2面ホーム 向こう側の線路はない 現存確認出来た唯一の行合いホーム
日本時代のホームかの見分けは概ね高さで確認できる 現在の国内ホームのような高さではないが
サハリンのそれとは異なる 当時の客車の車高が伺える 結構長いホームだ 何両入る?
JR樺太に頼んで ぜひ「青春18きっぷ」のポスターに使ってもらおう 目の前は美しい日本海
生活道路でもある西海岸線
このおばちゃんたちはきっと昔を知っているのだろう
哀愁の大陸航路 「鉄道連絡船」

ホテル真岡の窓から撮影 港湾関係がやたらでかいだけに工場だろう程度に思っていたら・・・

いたる所貨車ヤードだらけに こんなとこにも伸びてるんだなと思っていたら・・・

■肝心な画像がない!■
部屋でうだうだしてたら なにやら連結の音が激しくなった おっ暗くなったなと外を見ると
なんと連絡船が目の前に接岸されているではないか おまけに貨車の引き出しも激しくやってる
一度引きでなく三度引きを繰り返す
すいません ひとつ上の画像を暗くして巨大な連絡船を妄想してください デッキには電燈の灯り
後部からはDLの唸り声と続く大陸貨車・・・ あとはお任せします お手数かけました

動画ありました⇒こちら

真岡の中心は北真岡駅と真岡駅の間だが 現在はフェリーターミナルあたりが一番にぎやかだ
連絡船への押し込みは複雑 北真岡からやってきた貨物は真岡駅とこの旧王子製紙真岡工場を通り過ぎ
隣の「手井駅」の一大ヤードに押し込まれる 再組成の後 後退する形で 海沿いの乗り込みヤードに入る
ここには台車交換所があり大陸感がいっぱいだ その後連絡船へとなる


この複雑な構内配置は統治時代の豊真線に理由がある 豊原からの幹線はこれにあり
南側の手井駅の合流を経て旅客は真岡駅へ 貨物は海側ヤードへとなっていたはずだ
戦前の連絡船貨車輸送は記録にないが その時代は荷役所として相当賑わっていたに違いない



海側の貨物ヤード 鉄道の街真岡の真骨頂 右へ進むと台車交換所
さすがにこの辺の撮影には結構度胸がいる その昔なら帰国が出来なかった一帯だ

大陸と濃い日本の匂いがした
戦前は軍の命令航路として大阪や横浜等からも航路があった
鉄道網の未確立と樺太統治の未確立の狭間で発展のために活躍した
サハリンきっての鉄道の街と言えるだろう
小樽に良く似た 鉄道の街「真岡」

呼称は不明だが国内で例えるなら「小樽築港機関区」といった感じだ
細長い地形に駅と客車区と貨物ヤードと機関区がそれぞれ点在している
小樽にとても似ている


のんびりしたもんだ
出区の際 悪ガキ3人組がわざとカマの前を歩いて横断 ひるむこともなく笑ってる
カマの運転手もありったけの汽笛をならすが減速はしない
国内なら事件だろうがこちらは日常?


昔米原にいた奴をパワーアップした感じ 厳ついのは基本歓迎
旧真岡駅

第一印象は狭いだった
さぞかしでっかい構内だろうと想像していたが⇒理由は前記
これもまた小樽に似ている というより取り壊し前の画像では小樽駅舎そのものである
時代背景からしてモデルにしたんだと思う
階段は当時のまま サハリン鉄道のマークと駅名板
修復する事もなく・・・
どれだけの日本人が登ったか
わかりやすいマーク
パンタが付いてる非電化なのに
ロシア人とアイヌには触れているが日本人には
触れていない
お世話になったホテル真岡
駐車場は裏にあり1泊350円でとめる 管理人がおもしろい
現地スーパーマーケット事情
とうとうボルシチは食べられなかった 道路を探し 線路を探し ホテルを探す しまいには電波も探す
レストランでゆっくりとも思ったが まずそこがレストランなのか違う店なのかの判別が非常に難しい
日本みたいに絵入りの広告看板があるわけでなくただ字があるのみである
字が読めない話せないなら いっそスーパーへとトライしてみた
結果全行程お世話になったがその辺を少しご紹介しよう
サハリンには「いらっしゃいませ」がない まずじとっ〜と睨み付け銃は持ってないかこの東洋人は大丈夫かと見られる
回数を重ねて態度がデカイ方が向こうも安心することに気が付く もともとそうだが以降あまり警戒されなかった
何を買うかより何が買えるかが難しい サハリンには電子レンジはないし カップ麺ばかりも・・・
そこで日持ちのする黒パン 中々うまい チーズOK ハムと言いたいところだが1本ものばかり
コンビニのようにはいかない たま〜に日本語の書いてあるものもあったが 大半は韓国製の日本のパクリものばかり
基本甘いのが大好きなようでそれっぽいのはたくさんある さとうのご飯は撃沈だし 結構選択しは限られる
日本では死滅状況のミリンダオレンジやファンタのいちごなど巨大なボトルが並ぶ 買う飲む 生きられる
レジでは座ったままベルトコンベアーが流れる 複数物も一個ずつピ レジをゆび指される
サンキューも通じない ならスパシーバこれでどう? ようやくニコリ 中々地に慣れるのは大変だ
何を食べようが自由だが水は水道水は飲んではダメ ミネラルウォーターを買おう
蛇口をひねったら暫く茶色い水だった 驚く問題ではない
目指せ「最北の東海岸線」⇒8Pへ続く

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