■■■ナンバープレート・側面板■■■

Page 2 karamatsuTOP
このページは2Pです

(MEGA
名古屋店)
41199-10-06 \385,000(税込)
ナンバープレート「ED31 2」
ED312 石川島造船所=/=芝浦電機 1923-08-00 E40.65tBB(1067)
車歴;1923-08-00製造→納入;伊那電気鉄道(長野県);デキ2→
1943-08-01買収;国鉄;デキ2→配属;名古屋局→配置;伊那松島→
1952-01-01改番[達116];ED312→配属;静岡局→配置;伊那松島→
豊川分工場廃車上申→1955-03-01(2/12?)廃車[達62];伊那松島→
1955-06-00譲渡;西武鉄道(東京都);E2→
1960-05-00譲渡;近江鉄道(滋賀県);ED312→1960-08-08使用認可
砲金製/塗装剥有/サイズ:65.5x19.8×1.2cm
状態使用痕共に極上 ※塗装が乾燥していますので
運送時、塗装の剥はご了承ください

(純正品保証)(MEGA名古屋店)
解説 ナンバープレートED31 2
飯田線が国鉄によって買収される以前、この区間は伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道の
4社によって構成 昭和18年に戦時買収、この4社の鉄道路線は国鉄飯田線となる
買収される以前の伊那電気鉄道時代に製造、運用されたのがED31 製造されたのは全6両
当初、名称はED31ではなく「2」「デキ2」とされ、伊那松島区配属後、1952年(昭和27年)ED31 2に改番
1955年(昭和30年)国鉄での使命を終えて、ED31 1と共にED31 2はまず西武鉄道へ、ED31 3〜5は
近江鉄道、ED31 6は上信鉄道へそれぞれ転属、1・2号機はのちに近江へ移動、全5両が集結
近江鉄道転属後の写真を見るとプレートの下地は赤色となっており、上塗痕が見られないことから
近江鉄道転属前に取り外されたプレートと思われる 旧型電気機関車ながらプレートの下地の色は
茶色ではなく、SLにみられるような黒色下地 1952年改番後〜1960年近江鉄道転属前頃
プレート裏面下部は製造時の過程か凹凸有
飯田線買収前の4社私鉄時代は実は旧型電気機関車が盛りだくさん 伊那電気もデキ2(ED31)以外にも
デキ10(ED32→岳南ED32 1)、デキ20(ED33)、豊川鉄道のデキ52(ED29)、デキ54(ED30→ED25)などなど
関連画像
参考文献 鉄道ピクトリアル No.617 1996.2 〈特集飯田線/身延線〉 10〜26ページ
電気機関車展望1 交友社 95ページ

(新宿店)
41193-6 \55,000(税込)
記念SLナンバープレート
「9633」
形式入

砲金製/木製飾台付/プレートのみ取外可能
プレートサイズ/25x54×厚さ1cm
飾台下部分サイズ/25x68cm/飾台に傷有

状態優
(新宿店)

(新宿店)
41170-6 \55,000(税込)SOLDOUT
記念SLナンバープレート
「C62 2」


砲金製/木製飾台付/プレートのみ取外可能
プレートサイズ/20x56×厚さ1cm
飾台下部分サイズ/25x70cm/台に若干傷有

状態優
(新宿店)

(新宿店)
41159-6 \27,500(税込)SOLDOUT 記念SLナンバープレート
「D51 1108」

砲金製
裏面に保存会名記載有
サイズ/20x73.5×厚さ1cm
表面若干キズ有

状態優
(新宿店)

(新宿店)
41141-06 \22,000(税込)SOLDOUT 小田急電鉄側面ナンバープレート
「3301」

ステンレス製
サイズ/12x42cm

未使用品
(新宿店)

(札幌本店)
41138-01 \165,000(税込)SOLDOUT
ELナンバープレート「ED75 785」

秋田機関区所属で青函トンネル開業を機に
ED79 13に改造


鉄製 縦15×横87×厚2.5p
丸穴開有/裏面「ホキ」書込有
傷、汚等使用感有
状態 優
(札幌本店)

(MEGA
名古屋店)
41130-10 \33,000(税込)
記念ナンバープレート「D51 2」
D51初期形式なめくじタイプの「D51 2」
中部地区稲沢第1機関区で貨物列車を中心に運用
砲金製 サイズ:20×50×1cm
状態優
(MEGA名古屋店)

(MEGA
名古屋店)
41120-10-01 \330,000(税込)
ナンバープレート「18696」
18696 汽車製造大阪工場=325 1919-03-00 S46.75t1CT(1067)
車歴;1919-03-00 製造→納入;国鉄;18696→配属;北海道局→
1919-03-00配置[北管達326];北海道局内→1919-03-21使用開始→
1919-06-01現在;張碓事故→1924-05-31現在;旭川→1927-03-31現在;浜釧路→1933-06-30現在;帯広→1935-03-31現在;釧路→1941-03-31現在;釧路→1945-09-30現在;釧路→1949-03-01現在;釧路→1955-08-01現在;釧路→1965-02-01現在;釧路→池田→1967-11-30廃車;池田
砲金製/塗装剥、上塗痕有/サイズ:60x20×1.5cm
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)(MEGA名古屋店)



解説 ナンバープレート「18696」
大正11年(1922年)7月6日〜25日までの北海道行啓時、7月17日池田発(15:09)→釧路着(17:50)、翌々日の19日釧路発(06:30)→帯広着(09:55)、
帯広(13:30)→新得着(時間不明)の2度に渡りお召列車けん引 当時の編成は8620【18696】+ホハニ、ホイロ、3号御料車、
ホイロ、ホロフの5両組成。大正時代の道内お召機として活躍 道内純正8620形式18696。釧路機関区の運用を担う一翼として
長年に渡り活躍したカマ。D51、C58などのプレートと比較すると表記が少ないながらも、その分厚さと重量感にシビれます。
築港の29675にも共通した道内極厚板の一枚。昭和34年頃はは釧路の入換機として活躍、当時の釧路区の主力はハチロクから
シゴハチへバトンタッチ、1967年に池田区で廃車、その生涯を終える

(MEGA
名古屋店)
41104-10-01-06 \2,420,000(税込)

■美唄鉄道ナンバープレート「4122」板谷オリジナル
換算銘板一体式製造銘板セット
川崎重工(造船)兵庫工場=103
1914-03-00 S65.27tEt(1067) 1914-03-00製造→国鉄;4122;庭坂→
1914-04-08竣工[達339]→1933-07-31米沢→1934-00-00庭坂→1949-09-29
(1948-05-00?)廃車;庭坂→1948-04-00入 1949-04-20認可譲渡;
三菱鉱業美唄鉄道;4122→1970-12-31廃車
プレートサイズ/19.5x49cm厚さ1.2p 銘板サイズ/14x21cm厚さ0.8cm
砲金極厚板板谷オリジナル/裏面煤煙痕含状態使用痕共に極上完品
(純正品保証)
(MEGA名古屋店)





解説 ■美唄鉄道ナンバープレート「4122」板谷オリジナル換算銘板一体式製造銘板セット
信州・碓氷峠、東北・板谷峠(庭坂〜米沢間)、九州・矢岳越(人吉〜吉松間)はいずれも急勾配の難所でその克服が鉄道において一つの課題だった。
碓氷峠は電化にともない、ED42等ラック式電気機関車でこれを克服したが、板谷峠、矢岳越は蒸気機関車でこの克服に挑む
その際に選ばれたのが、「4110」のオリジナルであるドイツ・マッファイ社から輸入した「4100形」であり、これをベースに作られたのが晩年を美唄の顔
として知られることになる「4122」すなわち「4110形」である 「4110形」は戦前から戦後において急勾配専用機として活躍、板谷峠では「庭」庭坂機関区
に配置され、運用戦後、板谷峠電化にともない庭坂の「4110形」群は国鉄(鉄道省)を外れ、一度その役割を終える 板谷峠完全電化までその後継を
担ったのが米原田村などでも活躍した戦後タイプ大型タンク機「E10形」 国鉄での役割を終えた「4122」は他の4110形と共に第二の戦場である北は
炭鉱鉄道の要衝「美唄鉄道」へ足を運ぶ 昭和20〜30年代は南北共に炭鉱鉄道が隆盛の時代、美唄鉄道も貨客両面で
需要があり、多くの混合列車を「4122」もけん引 美唄鉄道の機関車配置に目を向けると、「4122」を含め板谷峠組の元国鉄タイプと
美唄鉄道で発注作成した純正タイプの2パターンが存在 板谷オリジナルタイプが旧来装備していたプレートに対して、美唄オリジナル
タイプは「2」「3」といったシンプルな形状 昭和40年代に入ると炭鉱鉄道の隆盛期も徐々に鳴りを潜めるようになり、美唄鉄道もまたその利用数が激減、
SLがけん引する客車列車も一日1本にまで減少、1970年ラストランの際には 当初の丸形プレートを前面に取り付けてフィナーレ、第二の人生を終える
この後翌年1971年6月テレビ撮影の関係で運用終了後にも限定的に使用

参考文献 交友社「機関車の系譜図」U 「鉄道ファンNo.119」1971.3 プレスアイゼンバーン 「レイルNo.21」私鉄紀行/北線路(上)
「蒸気の時代No.13」オータム2003 鉄道図書刊行会 「鉄道ピクトリアル」1963.6北海道の鉄道特集
キネマ旬報社「蒸気機関車No.72」1981.3



(MEGA名古屋店)
41082-10-12 \330,000(税込)
68620
五能線、奥羽本線で活躍した汽車製造「68620」
東能代から川部まで五能線全線、スイッチバックで弘前へ
奥羽本線と貨客兼用機関車として運用
この区間を管理するのが五能線管理所で弘前、東能代両面カバー
「68620」は弘前チームとして活躍 東能代チームにもハチロク在籍
五能線深浦〜川部間+弘前スイッチバック8620けん引混合列車
1725レ深浦発05:50→弘前着09:20、
1740レ弘前発16:01→深浦着19:44 1968年10月
ハチロク引退後は五能線もディーゼル化 その象徴でもあった
キハ40・48も近年引退、新型車に置換
【鉄道冒険団】ありがとうキハ40・48系
https://www.youtube.com/watch?v=LKhyMJ32B7w
1955年に弘前着任後は五能線一筋で活躍、1971年にその生涯を終える

68620 汽車製造大阪工場=651 1922-12-00 S46.75t1CT(1067)
車歴;1922-12-00 製造→納入;国鉄;68620→配属;仙台局→
1922-12-00配置[仙管達23];仙台局内→1922-12-19使用開始→
1955-08-01現在;弘前→1960-03-31現在;五能線管理所(弘前)→
1964-04-01現在;五能線管理所(弘前)→
1971-07-21廃車;五能線管理所(弘前)
砲金製/20×59.8×厚さ1cm
裏面清掃済煤煙染込有状態使用痕共に極上

(純正品保証)(MEGA名古屋店)



(MEGA名古屋店)
41059-10-01 \275,000(税込)SOLD OUT

ナンバープレート「9658」

9658 川崎重工兵庫工場=167 1915-01-00 S59.80t1DT(1067)
車歴;1915-01-00製造→納入;国鉄;9658→配属;東京局→
配置[東管達873];東京局→1915-08-11使用開始→1933-06-30現在;長町→
池田→1941-03-31現在;岩見沢→1945-09-30現在;岩見沢→
1947-00-00現在;岩見沢→1949-03-01現在;池田→
1955-06-00長万部→1970-10-28名寄→1971-08-19廃車;名寄
サイズ:49.5×19.5×1.5cm(突起含)
使用による塗装剥、擦、緑青、欠有 砲金製
裏面煤煙付着 状態使用痕共に極上
(純正品保証)(MEGA名古屋店)

g(MEGA名古屋店)
40952-10 \33,000(税込)SOLD OUT
記念ナンバープレート「D51 827」
中央西線中津川区「D51 827」
D51 200、777と共に中央西線貨客兼用機として活躍
砲金製 サイズ:20×76×1cm
経年緑青有
状態優
(MEGA名古屋店)

g(MEGA名古屋店)
40918-10 \44,000(税込) 「35-120」
東海道新幹線ファーストタイプ
0系新幹線35形式は売店、
ビュフェ車用 車体廃車時、
バーナー等で切抜、塗装剥離
鉄板真鍮製張文字 メッキ仕上
一部欠、反有裏面リベット残有
12.5×32.7×2p 状態使用痕共に極上
(純正品保証)(MEGA名古屋店)

g(MEGA名古屋店)
40894-10 \33,000(税込)SOLD OUT
記念ナンバープレート「C56 160」
国鉄末期から現在のJR各社にいたるまで最も
有名な機関車である「C56 160」
北陸地区であれば、冬のときめき号、中部地区であれば
一世紀号や北びわこ号、あおなみ線での運用などが
記憶に新しい
砲金製赤色塗装 サイズ:20×77×1cm 両面保管による
プチプチ痕有 状態優
(MEGA名古屋店)

(MEGA名古屋店)
40864-10-44 \660,000(税込)
大判ナンバープレート「C57 108」

昭和30年代、直江津、新津区北陸スジの旅客列車は蒸気けん引
全盛時代 その中核であったのがC57 鈍行旅客以外にも
寝台特急格上前急行きたぐに前身大阪発青森行長距離客車急行
「日本海」けん引 「C57 108」もその一翼を担う
東海道、北陸、信越、白新、羽越、奥羽本線経由
501レ急行日本海 大阪発19:10→青森着17:29(1961.11)
同時代キハ82系碓氷越上野発・大阪発青森行ディーゼル特急「白鳥」も
参戦、日本海、白鳥の二大優等列車で一路北海道へ
当時の編成は郵便車+指定・自由席1等、2等寝台、食堂車、1等寝台、
2等車他12両組成、秋田・新潟でそれぞれ切り離し有

20cm板と比較すると、型式入を彷彿とさせる23cm大判プレート
プレート下部のイレギュラーな感じのバリがたまらない

C57 108 日立製作所笠戸工場=1083 1939-04-12 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1939-04-12製造→納入;国鉄;C57108→配属[達282];東京局→
1939-04-12使用開始→配置;東京局内→1945-04-01現在;宇都宮→
1955-08-01(9/17?)直江津→1964-04-01現在;直江津→新津→
1968-11-01廃車;新津
サイズ:80.5×23×0.7cm 使用による塗装剥、擦、緑青有 砲金製
裏面煤煙付着 状態使用痕共に極上
(純正品保証)(MEGA名古屋店)



g(MEGA名古屋店)
40857-10 \55,000(税込) SOLD OUT
大判記念ナンバープレート「D51 200」

中央西線中津川区青色塗装記念プレートD51 200
西線時代はD51 125+D51 200による重連客レ 名古屋発塩尻行821レ、
830レをけん引 中央西線客貨兼用機関車として活躍
保管掲示用ボルト締痕有
砲金製中津川区青色塗装 サイズ:73.6x22.6×1cm 状態優
(MEGA名古屋店)

g(MEGA名古屋店)
40804-10 \330,000(税込) SOLD OUT
「C58 92」
正明市(長門市)以降芸備線で活躍した汽車製造C58 92
汽車製造製のためかC58 137号機と同じく裏面は突起のあるタイプ
広島から新見間まで芸備線全線に渡って福塩線ハチロクと共に
貨客兼用機関車として運用
芸備線管理所は旧名が三次機関区、その前は備後十日市機関区
と機関区名が年代により改称、三次機関区時代の区名札は「三」

芸備線管理所時代の区名札は「芸」となる
芸備線全線新見〜広島間C58けん引長距離鈍行客レ
839レ新見発04:40→広島着10:32、
836レ広島発13:40→新見着19:33 1964年10月
芸備線には秘境、備後落合駅やSL三重連撮影のメッカである
布原信号場【現布原駅】などが見られる
DCの導入後は準急ちどり、いなば、しらぎりなど優等列車も併走開始
芸備線での役割を終えた後、晩年は会津若松へ移動、その生涯を終える
C5892 汽車製造大阪工場=1637 1938-10-13 S58.70t1C1T(1067)13
車歴;1938-10-13製造→納入;国鉄;C5892→配属[達896];仙台局→
1938-10-13竣工→配置;?→
1943-00-00陸軍供出予定改造終了後輸送出来ず復元→
1945-08-00現在;正明市→備後十日市→1955-08-01現在;三次→
1956-04-01現在;三次→1964-04-01現在;三次→芸備線管理所→
1970-10-05会津若松→1971-00-00廃車;会津若松
サイズ:69.7×20×1.5cm 使用による塗装、剥有 砲金製
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上
(純正品保証)(MEGA名古屋店)



(新宿店)
40796-6 \88,000(税込)SOLDOUT
「C12236」形式入記念ナンバープレート
車歴
1940/6/2・日立製作所笠戸/NO.1263 新製/宮古区配置
1944/10/25・宮古区→加古川区
1960/11/1/・加古川区→加古川線管理所(組織改正)
1965/10/22・廃車(加古川線管理所)

砲金製/27x77.5x厚さ1cm
経年による緑青と細かい擦り傷、所々に有
状態優

(新宿店)

(新宿店)
40773-6 \198,000(税込)SOLD OUT
「39670」広尾線最終組
幸福駅を通過するポスターにある虎塗の9600

砲金製/20x59.5x厚さ1.5cm
キャブ下側面取付プレート

1919-12-20 川崎造船所兵庫NO.523 新製配属 仙台局
1931-01-31 現在 青森庫
1936-09-01 青森庫→青森区(職制変更)
1939-11 青森区→小樽築港区
1941-10-25 小樽築港区倶知安支区→倶知安区(本区昇格)
1955-03 倶知安区→室蘭区伊達紋別支区
1958-09-01 室蘭区伊達紋別支区→伊達紋別車両区(組織改正)
1964-04-01 現在 富良野区
1969-03-01 富良野区→帯広管理所
1969-04-01 帯広管理所→帯広運転区
1974-03-31 現在 帯広運転区
1975-06-25 廃車(帯広運転区)釧路解体
帯広運転区最終在籍SLの1輌

木製飾台付/表面磨き有
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上/

(純正品保証)
(新宿店)


(名古屋店)
40740-10 \198,000(税込)SOLD OUT

「D51 517」
SLブームだった頃、各地の百貨店でナンバープレートをはじめ鉄道部品が販売されていたことがありました こちらもその一枚で販売したのは名古屋松坂屋
当時は純正プレートがたくさんあったので、今から思えば安価で販売していたようですが、人気の向上とともに数が不足気味になり、記念品のプレートも
増えていきました 当時のジャーナルの後ろなどにも
この辺りのくだりは記載されています プレート自体は主に北陸線の貨物をけん引した517号機のもの塗り重ねた下地から赤色ものぞきます 
いずれかの機関区で赤プレートでも使用していた可能性有 裏面に目を向けると
取付部位が上下で異なる点が珍しい。上下どちらかで4点が統一されているのがプレートでは一般的ながら、この点は面白いところ煤はしっかりと入っています D51517 国鉄大宮工場=30 1942-03-00 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1942-03-00製造→納入;国鉄;D51517→1942-03-11竣工→配属;東京局→1942-03-23配置;白河→1943-09-14借入;宇都宮→
1943-09-18宇都宮→1944-09-29吹田→1945-11-16梅小路→1956-11-19今庄(福井?)→1956-11-19借入;福井→1956-12-05
集煙装置取付(浜松)→1957-09-30金沢→1962-06-10富山→1965-08-07借入;糸魚川→
1965-09-30返却→1965-10-01金沢→1965-11-01福井→廃車
使用による塗装剥、塗重、緑青、歪、磨耗有 サイズ:20×70×1.5(突起部含) 状態使用痕共に極上

(純正品保証)(名古屋店)

g(名古屋店)
40674-10 \275,000(税込)SOLD OUT
「C11 173」
昭和30年代まで中部地区のカマとして活躍したC11 173
名古屋機関区時代は三菱稲一C50 101と同じく名古屋港線
貨物、入換列車を、大垣機関区時代は下り東海道本線
大垣〜関ヶ原間客車列車を担当 昭和23年頃の大垣区C11は
岐阜〜関ヶ原の混合列車含む貨客混合運用有
昭和30年10月以降は九州に乗込み東小倉、門司、鳥栖など転戦
1972年に小倉工場にてその生涯を終える

C11173 川崎重工兵庫工場=2335 1940-07-24 S66.1t1C2t(1067)20
車歴;1940-07-24製造→納入;国鉄;C11173→配属;名古屋局→
1940-07-24竣工→配置[名鉄達615];名古屋局→1947-10-00
現在;名古屋→1955-08-01現在;大垣→1955-10-01東小倉→
1956-03-24現在;東小倉→1962-03-00現在;門司→1967-03-31
現在;門司→鳥栖?→1968-01-30全検→1971-10-01休車→
1971-11-07小倉工場廃車上申[小工機196]→1971-12-06廃車
[工車1447];門司(鳥栖?)→1972-01-00小倉工場解体
使用による塗装剥、ボルト締痕、緑青、裏面煤煙タレ、
塗装上塗、裏面バリ有 砲金製 67×20×1cm
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)(名古屋店)


(新宿店)
40597-6 \275,000(税込)SOLD OUT 「C11 94」
砲金製/19.5x55x厚さ1cm
川崎車輌兵庫工場=1673
1936-06 S65t1C2t
車歴1936-06 新製→ 配属:名古屋局 配置:不明
1938-02頃 名古屋局管内→稲沢区
1940-08   稲沢区→七尾区
1941-10-30 七尾区→野付牛区
1942-10-01 野付牛区→北見区(駅名改称による)
1949-03-01 現在 北見区
1949-08-01 現在 釧路区標茶支区
1954-12  第一種休車指定 釧路区標茶支区
1957-02-23 釧路区標茶支区→会津若松区
1959-04-30 会津若松区→会津線管理所(組織変更)
1963-04-01 現在 会津線管理所
1966-01頃 会津線管理所→福島区
1966-10-01 福島区→青森区
1968-02-21 廃車(青森区)

裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)
(新宿店)

(新宿店)
40593-6 \27,500(税込)SOLD OUT
「モハ207」新京成電鉄
切抜ナンバー
27x63x厚さ0.5cm

裏側ネジの先端削り有(安全のため)
枠部分のみ加工品

状態優

(純正品保証)
(新宿店)

(塩尻店)
40577-45 \88,000(税込) SOLD OUT
「ED7713」
切抜ナンバー
福島機関区配置
117×50×12cm(手すり含む)

重量:約28s

塗装はがれ・錆・反り有
状態 良

(純正品保証)
(塩尻店)

(名古屋店)
☆プレート裏面の形状について☆ C

ナンバープレート裏面の形状それぞれ
裏面の作りに目を向けると、ナンバープレートは複数の
パターンがある
カドが切り立っているもの@
裏面の固定部位が内側に含まれているものA、
固定部位が浮き出ているものB
凹凸のない平面のものC
とその形状はさまざま
日本車両、汽車會社といったメーカーの作り
苗穂、鷹取工場といった工場の作りなど
同じ機関車の形式でもその作りは異なる
北海道で使用されたカマのプレートは@のタイプが比較的
多いように思われる そして厚板であることも合わせて
見られる
@
A
B

(名古屋店)
40551-10-01 \550,000(税込)SOLD OUT


「D50 308」
日本車両製造のD50 308 281号機が終始、北海道での運用に対して
308号機は戦前は名鉄局の前身名古屋鉄道局中津川機関区に所属
太平洋戦争末期昭和19年、308号機を含めて18両が中津川に配置
D50の集中運用、この頃は中津川にはまだD51の姿は見られない
戦後、昭和24年からは本州から小樽築港へ転属。1967年に追分で
廃車になるまで北海道で運用される
D50308 日本車両名古屋工場=214 1928-00-00 S78.14t1D1T(1067)
車歴;1928-00-00 製造→納入;国鉄;D50308→配属;?→配置;?→
1933-06-30現在;中津川→1949-03-01現在;小樽築港→
1954-04-01現在;追分→1955-08-01現在;鷲別→追分→
1962-07-00旭川→
1963-12-24追分→1967-12-20廃車;追分
使用による塗装剥、ボルト締痕、緑青有
砲金製
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)(名古屋店)



(神田駅前店)
40539-39 \88,000(税込)SOLD OUT
「DD13 650」
ブロックナンバー
81.5×13.6×1.8cm
ディーゼル機関車
苗穂機関区
台座付

使用による傷・台座錆有
状態 優

(純正品保証)
(神田駅前店)

(名古屋店)
40538-10-12 \418,000(税込)SOLD OUT

「D51 596」
日立製作所製造のD51 1941年に岩見沢配置後、
1973年鷲別廃車まで終始、北海道での運用

1969年頃の札鉄局管内では、この596号機を含めて
130両以上のD51の配置がある
築港と岩見沢に30両前後、次いで鷲別と追分が20両前後
滝川、倶知安と続き、広範囲にわたってD51の運用が見られる
日立製作所笠戸工場1427 1940年12月 製造
青森→1941年10月 岩見沢→1941-11-20 耐寒工事施工(苗穂工場)→1944-07-08 函館→1945-08-25 借入;長万部→
1945-12-09 返却→函館→ 五稜郭→1960-10-19 鷲別→
1973-04-23 室蘭→函館→ 鷲別→1973-07-20 廃車;鷲別
砲金製/取り外し等にともなう取付穴1点拡張痕、使用による擦、傷、欠有
サイズ:20×76.6×1.5cm
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)
(名古屋店)

(名古屋店)
40533-10-01 \550,000(税込)SOLD OUT


「D50 281」
汽車会社製造のD50 製造から廃車まで終始、北海道での運用
1928年汽車会社では281号機を含め18両を製造、同時期にC53も
27両製造され鉄道省に多くのSLが増備される
廃車となる晩年1967年はD50は42両と大量に廃車になり、1971年に
205号機の廃車と共に形式消滅となる
D50281 汽車製造大阪工場=1026 1928-00-00 S78.14t1D1T(1067)
車歴;1928-00-00 製造→納入;国鉄;D50281→配属;札幌局→
配置[札幌局達乙1244];札幌局→1933-06-30現在;函館→
1935-03-31現在;函館→1941-03-31現在;函館→1945-09-30現在;追分→
1954-04-01現在;追分→1955-08-01現在;鷲別→1963-11-30現在;追分→
1967-08-31廃車;追分
サイズ:76.7×19.8×1.3cm
使用による塗装剥、ボルト締痕有
砲金製
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上

(純正品保証)(名古屋店)



(名古屋店)
40450-10 \660,000(税込)SOLD OUT

「C57 168」
プレートに関する詳細はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=pbf9-iu6Rws
C57168 三菱重工業神戸造船所=354 1942-05-14 S67.50t2C1T(1067)
車歴;1942-05-14製造→納入;国鉄;C57168→配属;?→配置;?→
1942-05-14使用開始→1945-04-01現在;水戸→1955-08-01現在;水戸→
1961-06-00富山→1962-06-00室蘭→1964-04-01現在;室蘭→岩見沢一→
1972-12-25廃車;岩見沢一
サイズ:77×20×1cm 使用による塗装剥、擦有 砲金製
裏面煤煙付着 状態使用痕共に極上
(純正品保証)(名古屋店)

(名古屋店)
40397-10 \220,000(税込)SOLD OUT


「C58 137」
正明市(長門市)、厚狭等山口県で活躍した汽車製造C58 137
昭和44年厚狭機関区ではC58は4両配置、唯一の3ケタ
国鉄美祢線厚狭〜長門市間C58けん引鈍行旅客列車
522レ長門市発06:06→厚狭着07:29、
523レ厚狭発18:01→長門市着19:19
早朝と夕方1本ずつの運用、以外は仙崎乗込の鈍行ディーゼル、
米子始発熊本行の急行さんべ、天ヶ瀬行きの急行あきよしなど
137号機は136〜142号機まで含め戦中は実は多治見配置という
中京圏とも何気に縁のあるプレート
C58137 汽車製造大阪工場=1752 1939-03-20 S58.70t1C1T(1067)
車歴;1939-03-20製造→納入;国鉄;C58137→配属[達282];名古屋局→
1939-03-25竣工→1941年 多治見配置
1943-00-00陸軍供出予定改造終了後輸送出来ず復元→
1945-08-00現在;正明市→1955-08-01現在;正明市→
1964-04-01現在;厚狭→1971-05-22廃車
サイズ:77×20×1.5cm 使用による塗装塗重、剥有 砲金製
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上
(純正品保証)(名古屋店)



(名古屋店)
40387-10 \55,000(税込)SOLD OUT 「DD13 195」
DD13195 汽車製造大阪工場=3012 1964-02-05 D56.0tBB(1067)
車歴;1964-02-05製造→納入;国鉄;
DD13195→1964-02-05竣工→配属
[達418];大阪局→配置;吹田一→
1967-05-27竜華→1982-11-25亀山→
1984-04-10廃車;亀山 裏面ボルト残有

鉄製反、塗装剥有 サイズ:86×31×2cm
状態使用痕共に極上
(純正品保証)(名古屋店)

(名古屋店)
40379-10 \165.000(税込)SOLD OUT

「D51 798」

広島、長門等中国地方を中心に活躍したD51
山陰本線の貨物列車けん引
無煙化に伴い、記念のヘッドマークをつけて
さよならSL列車をけん引
D51798 三菱重工業神戸造船所=367 1943-03-30 S77.60t1D1T(1067)
車歴;1943-03-30製造→納入;国鉄;D51798→配属;?→配置;?→
1947-10-00現在;広島一→1948-07-01現在;岩国→1955-08-01現在;広島一→
1961-04-01現在;広島一→1971-04-00現在;長門→1972-12-01廃車;長門
砲金製/塗装剥、度重なる上塗痕有
うろこ状の塗装表面
サイズ:77.5×20.2×1.2cm
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上
(純正品保証)(名古屋店)

(札幌本店)
40375-1 \88,000(税込)SOLD OUT

「3 9689」

39689 川崎兵庫工場=542 1920-02-00 S60t1DT

車歴:1920-02 製造 1920-02-19 使用開始 庫名不明(札幌局管内)
1924-05-31/土 現在 手宮庫 1927-04-01/金 現在 野付牛庫    
1931-01-31/土 現在 名寄庫音威子府分庫
1934-03/名寄庫音威子府分庫→名寄庫
1936-09-01/火 名寄庫→名寄区
(職制変更) 1939-03-31/金 現在 名寄区
1944-03-31/金 現在 名寄区 1949-03-01/火 現在 名寄区 
1954-04-01/木
特別休車指定 名寄区 特別休車指定解除日不明     
1954-10-01/金 現在 名寄区 1956-06頃 名寄区→北見区(正確な時期不明)
1962-04-1/日 現在 北見区 1967-03-31/金 廃車(北見区)

砲金製/煤汚れ、塗装剥げ等使用痕有
プレート:19.8×65.8×1.1cm/状態優

(純正品保証)
(札幌本店)


(名古屋店)
40359-44 \495.000(税込)SOLD OUT
「D60 8」

広島工場集煙装置をつけたD60 8号機 もともとはD50のクラシカルな
煙突も、これが付くとそのイメージも一新  1964年の山口線小郡駅で
はすでに集煙装置取付後の姿になっている 近年ではSLやまぐち号等
が追加の集煙装置をつけた姿としてはよく知られている
煙突の形状では、北海道追分機関区のD51についていたエジェクターなどは
その独特な形状が特徴的で面白い

D50の優れたカマをベースに軸重改造して生まれたのがD60
こちらはD50 168号機をベースに誕生したD60 8号機
大正大型貨物けん引機D50も、電化が進む中で
メインどころたる幹線運用からは徐々に外れていく。しかし幹線以外であれば
まだまだ使いどころもあるということで、キャブ下に取り付けてる従台車
を1軸から2軸に軸重改造をほどこし、これらのカマは
新しい戦場におもむいていく

軸重改造によって生まれた改造形式はD61、C61など60番台が多い
津和野区使用、山口線で1967年廃車
裏面リベット固定部分突起状タイプ非ベタ付プレート

D608 川崎兵庫工場=1178-浜松工場 1926-03-00 1951-12-06
S81.60t1D2T(1067) 車歴;1927-03-00 製造→納入;国鉄;19967→
1927-03-27配属[達314];門司局→配置;?→1928-10-01改番[達380]
;D50168→配属;?→配置;?→1933-06-30現在;広島→1936-00-00
現在;小郡→1950-04-00二休;上田→1951-12-06浜松工場改造[達687]
;D608→配属;広島局→配置;津和野→1967-01-04廃車;山口線管理所

砲金製/塗装剥、上塗痕有 赤プレートの上から黒差
サイズ:19.2×54×1.3cm
裏面煤煙付着状態使用痕共に極上
(純正品保証)(名古屋店)




在庫アリ

ご予約済
SOLDOUT 
の商品です
画像でお楽しみ下さい  


店長直行メール

トップページに戻る