樺太庁鉄道その北限がまだ『敷香駅』だった時代
壮大な樺太の旅はどのようなものだったのだろう
宮沢賢治の世界ではまるでお伽列車かのような終着駅を連想させた
この貴重な敷香(シスカ)駅終点の画像では流線形DCが映り込んでいる
新製間もないのか美しい車体に旋回窓が目を引く 原版では駅舎の向こうに地平線が見える
馳せる思いに近いものが伺える はたしてどのような人が何の目的で
それはどんなものだったのか・・・
現代の我々には決して届かない果てしない浪漫があったにちがいない
誰もが万感の想いで稚内港駅に接岸した時、きっと安堵感がこみあげた筈だ
寝台が組み込まれた優等列車は函館を目指し汽笛を上げる
ドームの柱がゆっくりと動き出す それを抜けるか抜けないかの内に大きく左へカーブし
すぐに稚内駅へとすべり込む
稚泊航路連絡船発行の寝台券と稚内「港駅」発行の寝台券は
まさしくその時代の証人である

稚内港駅画像版権:カラマツトレイン