往年の長野機関区と長野工場
C58263
八高線にいた奴?
C5696+C56102+C56111の飯山線ツララ切チーム
111がお気に入りだったのに正体不明の斑点模様
霧の中の構内時計は8時25分をさしている

C50143クルクルパー付
稲一か?
ペンキすらないC12+D51750後部に僅かにED21が見える
D51はたしか加太にいた奴・・・
記憶の中では思い出のシーンがいっぱいあるのに
何故か画像が少ない
なによりネガ自体中々探し出せない しょうがなくアルバムから
カシャ それでなくてもへたくそなのに ネガが見つかったら
差し替えると言う事でご容赦頂きたい
新宿からの夜行に加え、体力を西線撮影で使い果たしてしまった
サッカー部内蒸気愛好家4人チームは長野駅では既にヘロヘロ
用意してきた寝袋で人目も気にせず爆睡
家出少年チームと間違えられ公安に職質?
幸い当時は好青年だった為4人組は補導もされずセーフ
しかし、変な時間に起されるは散々
早朝、長野駅は霧の中だった どうやって機関区まで行ったか
もう記憶にはない ただでかい顔してウロウロしてたから
きっと許可をだれかが取ったのだろう
この当時長野は運転所という聞きなれない名称に変わっていた
馬鹿もん、蒸気がいれば機関区に決まってるだろう
みなウンウン かくして記憶の中では機関区のままである
人生で初めて見た蒸気の墓場である プレートはなくペンキ姿
あぶらっけは失せ鉄の巨大な物体達だった
配置区のものとは関係のないカマがウヨウヨ
象徴だった長〜い東口連絡通路あたりがその中心
赤補正の出る頼りないオリンパスペンで無理やり
シャッターを押し込む
主のいなくなっていた扇形車庫よりここでの滞在の方が長かった
のちに見る事にになる築港の巨大な廃車群より何故か
キューンとした
現在この上には新幹線ホームがある
主役達のめまぐるしい変わりようである
その後、急行白山のデッキに立ったまま
帰路についたのを覚えている 昭和47年11月/日曜日

懐かしい画像ですね 転車台のちょうど向こうあたり つまり右オレカのところあたりがお立ち台みたいなものだったかな?
庫の中や転車台あたりは結構勇気が必要だった 長工の集煙装置は独特の形 大昔の高崎第一ばりの緊迫度が・・・
長野支社さんのオレカより